前回のアップデートからしばらく経ってしまいましたが、子供は無事に第一志望の高校へ入学することが決まりました。日々の葛藤が一つの成果となったことは、子供にも私にも大きな励みになっています。

先日、ニューヨーク市の公立学校に通っていて何かしらの障害がある生徒の保護者に対する説明会のようなものがありました。個人指導プランの仕組み、障害を持つ生徒と保護者はどのような権利があるのか、保護者は子どもの一番の代弁者である事などが障害をもつ生徒をサポートする立場にあるパネリストから説明されました。

学校側との話し合いで持ち上がる問題点や葛藤などが参加者から質問され、活発にディスカッションされました。全く任意の説明会なので、どの参加者も熱心に子どものために奔走している人々です。

発言や質問の多くは、学校側が個人指導プランを作ってくれない、子供に適切な指導が受けられない、今まで子供が学校で受けていた指導サービスを突然切られてしまったなどの内容でした。アメリカは障害者の権利やケアが確立している方だとは思いますが、そこから漏れてしまう人も多数存在します。

それを聞いていて初めて、私の息子は重度のADDであるとはいえ、いかに恵まれているかを痛感しました。もしも学校崩壊しているような学区に住んでいて、落ちこぼれている生徒が周りにたくさんいたら、少々の発達障害など学校の先生の目に止まらない可能性があります。

私たち親も子供のためにあれこれ調べて駆けずり回ったけれど、学校側もそれに対応してくれました。担任の先生も卓越した人が多かったし、子供も周囲の働きかけによく反応しました。でも残念ながらそういう例は稀なようです。自分たちがいかに恵まれているか実感するとともに、同様の恩恵を受けられない人々もいることに心痛を覚えます。

私の息子は(おそらくADDの影響で学校生活がスムーズに送れなかったため)小学校低学年の頃に自分がいかに不幸かを毎日のように嘆いていました。でもいつの日か、自分がいかに恵まれているか理解して欲しいと思っています。