よく、子供は褒めて育てろと言われます。歩き始めたら褒め、話し始めたら褒め、トイレを教えたら褒め、字を書いたら褒め… でもADDの子供の多くは、何故だか分からないけれど他の子供のように平均的な成長の仕方をしないので、親は焦ります。
ある程度の年齢になって幼稚園や学校に通うようになれば、子供自身も自分が同級生と同じように走れなかったり上手に字が書けない事を気にし始めます。ADDは知能レベルとは関係ないので、多くの場合、親や教師の目にも落ち着かない子もしくはボーッとしている鈍い子として移るだけで、発達障害だとはなかなか気づいてもらえません。
私の息子も足がクラスで一番遅い、いつまでたってもお漏らしをする、何をやってもうまくできないなどを気にして、5歳になるまでにはかなりの劣等感を募らせていました。
私はADDではなく何でもよくできる子だったのですが、親に褒められたり励まされた経験がありませんでした。励まされるどころか、学費を出してくれと言えば「お前には才能がないからあきらめろ」と言われ、失恋すれば「あんたみたいな子は遊ばれただけだからあきらめろ」と言われ、その心の傷は今でも消えずに残っています。
母は私に繰り返し「あんたにはできない事が世の中には沢山ある事を知りなさい」と言っていました。「そんな事はない」と親に突っぱねてはみても、ネガティブな言葉はいつの間にか私の中で事実となっていました。
小学生の頃はそれでも私は学校の人気者だったので全てうまく行っていましたが、中学高校と進むうちに、親からの精神的な支えのない子の弱さを感じるようになりました。自分に自信がないので誰ともつきあえず、特に大舞台でのパフォーマンスを要求される大学受験は悲惨でした。
気がついてみれば、家庭が安定して親が協力的な友人はみな恋愛を繰り返し、大学受験も突破しているのに、私を含めた家庭に問題のある友人は、全てに関して失敗していました。
私の両親は勤勉で素朴な良い人達です。ただ戦中戦後に貧しい労働者の家庭で育ったので、子供には食べ物、寝る場所、衣服を与えないと育たないとは知っていても、教育、励まし、安定した家庭が必要だなどとは想像もしなかったようです。高度経済成長である程度の資産ができても、その考え方は変わりませんでした。夫婦仲も悪かったので、親は自分たちが毎日を生きるだけで精一杯で、子供達に精神的な投資をする余裕はありませんでした。
そんな家庭背景を私は持っているので、子供は褒めて育てるのだとは最初は知りませんでした。ただ、何度かパフォーマンスレベルの高い子供を持つ親が、意識的に子供を褒めちぎっているのを知り、自分も子育ての方向修正をしなければならないと遅ればせながら気がつきました。
褒めると言っても、容姿がかわいいとかカッコいいとか、努力をしないでも既に与えられているものは対象外です。勉強でもスポーツでも片付けでも、何かをやり遂げた時に多いに褒めてさらにやり続けるように励ますのです。
我が家では息子がやりたがる事はなるべくやらせたいと思ってはいますが、やらせてあげられない事もあります。例えば、息子は幼い頃から一度聞いた旋律を正確に覚える事が出来、ピアノを折り紙で作って弾く真似などもしていましたが、子供にピアノを習わせるのは金銭的には無理です。他にも楽器を欲しがりましたが、私たちが買ってあげられる楽器は限られています。
アメリカでは近年経済的な格差が広がる一方で、それに伴って教育の格差も広がっています。裕福な家庭の子供達は、幼い頃から様々な習い事を経験する機会に恵まれますが、貧乏な家庭の子供達は家でテレビを一日中見るだけで、貴重な子供時代を無為に過ごします。
この幼い頃からの習慣の違いは、生涯の大きな生活習慣の差となり、貧困家庭で生まれ育った子供達が上の階級へ上がる事をさらに難しくします。そして次の世代も同じ事を繰り返し、階級社会が確立されて行きます。
我が家は貧しく、しかも息子はADDというハンデキャップを負っているけれど、私は息子の将来に大いに期待しています。アメリカでの経済格差と教育格差の関係は、文化の格差だと理解しています。裕福ではなくても、親の決意で子供にそれなりの教育を与える事は可能です。
来週から息子はミドルスクールに通い始めます。アメリカのミドルスクールは、通常6年生から8年生までなのですが、息子の行く学校は5年生から始まります。今まで通っていた学校も悪い学校ではなかったので、1年早く別の学校へ移すことへの戸惑いはありました。
でも、息子の通う予定のミドルスクールは、5年生を他の学年からほぼ隔離して本格的なミドルスクール生活が始まる6年生への準備期間としているようです。他の子供よりも幼稚性が強く残っている息子には、丁度いいのではないかと思っています。
自分の子供を育てていると、自分の親がいかに子育ての手抜きをしたか、今更ながら理解して悲しくなります。私は自分の親ほど金銭的には恵まれていませんが、子供の教育と生活には自分の親よりも大いに首を突っ込んでいます。
私自身は親から受け継いだネガティブなサイクルから抜けられなくても、子供にはそれを手渡したくないと思っています。