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自分の子供がどこか他の子供達と違う、育てにくい、何かあるに違いないとずっと思っていたのに、それがADDかもしれないと始めて憶測した時には軽いショックがありました。ADDはただの症状の診断に過ぎなく、息子の抱えている問題はADDの診断があろうがなかろうが変わらないのに、やはり私自身ADDに対する偏見があったのだと思いました。

いま、こうやって匿名でブログにあれこれ書いているのも、細かな事柄を日常生活で話して発散する事ができないからです。親しい友人には息子がADDだというのを隠しているわけではないけれど、それほど細かい事まで話すわけでもなく、またどこまで話すかにも神経を使います。それもやはり、世間がADDの子供を特別な目で見るのではないかという恐れがあるからです。

夫は息子のADDに関する事を私が他人に話すのを嫌がります。そのため夫側の親戚は、その事を一切知りません。おそらく夫は「他人とどこか違う」ために、自分自身偏見を持たれた事が度々あるからだと思います。

ただ、余りにも親がADDに対して否定的な見解を持っていると、それが子供に伝わって、子供がADDである事自体に劣等感を持つようになったら困るとは思っていました。そのため、私達は家ではADDに関してオープンであるのにも関わらず、外ではADDに関する会話を自然と避けていました。

ある日、息子が何かの拍子に「ADDは色々忘れて困る事もあるけれど、好きな事に集中出来るから良い所もある。」と往来で言っているのを聞きました。たとえ息子の言っているのは事実でも、余りにもあっけらかんとした無邪気な発言を聞き、私は正直言って焦りました。そして「この調子で、学校でもADDの事を友達に喋っているのだろうか?」という疑問が湧いて来ました。

確かにADDを隠す事はないけれど、それを宣伝する必要もありません。ただ、息子にはまだ自分が受けるかもしれない差別や偏見が理解できないのです。これをどうやって息子に話したらいいのか、少々悩みました。私が「ADDの事は偏見を持たれるから喋るな」と言う事によって、息子にADDは忌むべきものであるという概念を植え付けたくなかったからです。

息子が週に一回行っているセラピーセッションがあり、普段は息子がセラピストと一対一で話をしているのですが、月に一回はファミリーセッションになっています。そのファミリーセッションの時に、ADDに関してどうやって友達に話すかという話題を扱ってもらいました。「ADDを隠す事はないけれど、皆に言う事でもない」という建設的な方向に話はまとまり、息子も「別に皆に言っている訳ではない。親しい友達には言うかもしれないけど。」と言っていたので、安心しました。セラピーを行っているソーシャルワーカーにも「学年が上がるに連れてADDの診断は年々増加し、かなりありふれて来るので、ADDがあるからと言って学校で差別を受ける事はまずない」と言われました。

どこまでADDの診断をオープンにするか、プライベートにするかは、将来息子が自分で決定する事になるのでしょう。

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